Hozoin-ryu sojutsu, the art of the spear

宝蔵院流槍術の歴史

宝蔵院流槍術とは

 宝蔵院流槍術は奈良を発祥地とする日本を代表する武道です。約470年前、興福寺の子院である宝蔵院の院主・覚禅房胤栄が猿澤の池に浮かぶ三日月を突き、十文字鎌槍を創始したと伝えられています。
 鎌槍を活用した槍術は「突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れざりけり」(胤張師)とうたわれるように攻防に優れ、やがて江戸時代、最大の槍術流派として大きく発展しました。
 ところが明治に入ると上知令によって寺領は政府に没収され、宝蔵院が消滅してしまいます。明治以降、多くの武道は消滅し、宝蔵院流槍術も同様の危機を迎えました。こうしたなか第一高等学校(現・東京大学)撃剣部に伝わる宝蔵院流高田派槍術が石田和外先生(元最高裁判所長官・第二代全日本剣道連盟会長)を中心とした有志によって復興しました。そして1976年、宝蔵院流高田派槍術の槍合わせの型が発祥の地である奈良に伝えられ、今日へと至っています。

継承図

現代の宝蔵院流槍術

奈良に戻った宝蔵院流槍術は、歴代宗家・流派代表と多くの伝習者によって、これを正しく受け継ぎ、その精妙な技と心を後の代へと伝えるため、日々活動を続けています。
 当初は数えるほどだった伝習者もその数を増やし、平成期には100人規模へと大きく躍進。稽古場も奈良本部道場だけでなく、名古屋道場、東京道場、そしてドイツのハンブルグ道場、カナダのトロント道場を開設するなど、国内に留まらず世界にまで広がっています。
 奉納演武等の活動については、奈良においては、春日大社(林檎の庭)、興福寺(中金堂前庭)、春日若宮おん祭り(一之鳥居ほか)、他には武徳殿(京都)、下鴨神社(京都)、厳島神社(広島)、鹿島神宮(茨城)、日本武道館(東京)などでも演武を行っています。